こんにちは、aki(@restudyblog)です
作家・村上春樹さんの著作を出版順に読んでいくチャレンジを始めました!
※ただし、入手可能な書籍に限ります
これを機に、長編の再読に加えて、今まで未読だったエッセイや短編集を読んでみたくなったので、ゆっくりじっくり作品を味わっていこうと思います☆
読了する度に、出版年月順に作品の紹介と一言コメントを記していきますので、もしご興味を持たれたらぜひムラカミワールドに足を踏み入れてみてください♪
全部で何冊あるんだろう?少しずつ集めていく過程も楽しみだったりします
☆順次更新していきますのでお楽しみに☆
1979年-1984年
1:「風の歌を聴け」1979/7/23
- タイトル:風の歌を聴け
- 発行日:1979/7/23
- 発行元:講談社
- ジャンル:長編小説
- 読了日:2023/5/2(再読)
村上春樹さんのデビュー作で群像新人賞を受賞されています
当時あまり作品を知らないままに受講した放送大学の面接授業「村上春樹文学を考える」で、先生から
「風の歌を聴け」は40章あるが、時系列がばらばらに書かれているんですよ
と教わり、衝撃を受けたことが村上春樹さんの作品に魅了されるきっかけとなりました
また、「僕」と「鼠」は友人だと最近まで思い込んでいたのですが、YouTubeの考察動画で<僕と鼠は同一人物説>を発見し、またまた衝撃を受けました
<故郷に残してきたもう一人の僕が鼠>であり、いわば分身(影)のような存在というわけです
同一人物として読み返していくと腑に落ちなかった点も納得でき、しっくりきます…!
ただ、とても分かり辛く描かれているので注意深く読まないと見落としてしまいますが、それでこそ村上マジックですねw
とても深い解釈をされている、同一人物説の動画はこちらです
「サンキチ&ケンゴの純文学深読みブログ*」▼
2:「1973年のピンボール」1980/6/17
- タイトル:1973年のピンボール
- 発行日:1980/6/17
- 発行元:講談社
- ジャンル:長編小説
- 読了日:2023/5/6(再読)
最初は僕と鼠の章が交互に繰り返されていきますが、途中からは不規則的になっていきます
物事には必ず【入り口と出口】がなければならないと書かれているように、僕と鼠もまたそれぞれに「出口」を探し求めている様子が描かれます
- 僕→スペースシップ、そして亡くした彼女との再会による心の区切りをつけること
- 鼠→故郷を離れること
が入り込んでしまった袋小路からの、脱出への試みとなります
「風の歌を聴け」から最新作に至るまで、村上春樹さんの作品には<死と生><喪失・哀しみと向き合っていくこと>が、通底するテーマのように感じます
3:「ウォーク・ドント・ラン 村上龍VS村上春樹」1981/7/20
- タイトル:ウォーク・ドント・ラン 村上龍VS村上春樹
- 発行日:1981/7/20
- 発行元:講談社
- ジャンル:対談集
- 読了日:未読
こちらの書籍は絶版となり入手困難のため、保留とします(中古本は販売されていますが、非常にお高いので…)
村上春樹さんはデビュー初期の段階で、すでに村上龍さんと対談されていたんですね
ぜひ再版されるといいな…!
4:「夢で会いましょう」1981/11/25
- タイトル:夢で会いましょう(※糸井重里さんとの共著)
- 発行日:1981/11/25
- 発行元:冬樹社→講談社
- ジャンル:ショートショート
- 読了日:2023/5/11
糸井重里さんと村上春樹さんの共著で、カタカナ文字の外来語を題材にしたショート・ショートが収録されています
少し意外な組み合わせ?のお二人に感じましたが、糸井重里さんとは、村上春樹さんがバーを経営されていた時からの知人とのこと
一つのお話が1から4ページほどなので、スキマ時間にちょっとだけ、の感覚で気楽に読みすすめられました
内容としては、ショートショートの特性なのかもしれませんが、99.8%はシュールです…w
文章を読んでみて、糸井さんか村上春樹さんのどちらが書かれたかを当てるのもひとつの楽しみだったり♪
村上春樹さんは、だいたい登場するアイテムや固有名詞やちょっとした表現で分かりますし、糸井さんの作品は結構攻めた表現が多いです…w
お二人とも30代前半に書かれた作品ですし、1980年代(40年以上前!)という時代背景もあるんでしょうね
私自身は、その年代や時代の風景を感じられるような作品はすごく好きです
その年代特有の風景やアイテム・固有名詞をみると、知らない世界をちょっと覗き見させてもらっているようで、なんだかワクワクします☆
中でも私の好きな章は
- インタヴュー
- ドッグ・フード
- パン
の3つです
ここに収められている「パン」はもしかして、後の村上春樹さんの作品「パン屋再襲撃」につながるお話だったりするのかな?
「パン屋再襲撃」という作品タイトルだけは知っていたので、繋がりがあるのか、はたまた全く関係ないのか??
気になって気になって、お陰様で夜もぐっすりですw
この謎は「パン屋再襲撃」を読む順番がくるまで、楽しみにとっておきます♪
5:「羊をめぐる冒険」1982/10/13
- タイトル:羊をめぐる冒険
- 発行日:1982/10/13
- 発行元:講談社
- ジャンル:長編
- 読了日:2023/5/28
「羊をめぐる冒険」を読むのは今回で3回目です
何度読んでも面白いのですよ、ほんとに…!
・風の歌を聴け
・1973年のピンボール
・羊をめぐる冒険
この3作品は繋がったストーリーのため【鼠三部作】と言われています
でも個人的には、「ダンス・ダンス・ダンス」を含めて四部作だと思っています「ダンス・ダンス・ダンス」は大好きな作品なので、再読が今から楽しみです
この「羊をめぐる冒険」では、前2作の「風の歌を聴け」「1973年のピンボール」に比べて物語色が強くなっています
とはいえ、一見物語とは関係なさそうなモノローグが突然差し込まれたりと、そこは村上春樹さんワールド健在でニヤリとさせてくれます
分かり合えない世界、そこは<イトミミズ宇宙>
中でも、【イトミミズ宇宙】という表現には驚きました
わかるような、わからないような、目を凝らせば朧気に輪郭が見えてくるような…
村上春樹さんはそのような独特の表現を使うのが上手ですよね
話しているうちにどんどん話がこんがらがり収集がつかなくなって、しまいには
「あれ…いったい何を話していたんだっけ?」
と、当初の目的が何だったか見失ってしまった状態のことかな?
そして悲しい事実として、どんなに誠心誠意の限りを尽くして伝えようと試みたところで、絶対的に分かり合えない人、わかりあえない世界というのは存在する…
そういった分かり合えない対象は、物理的にはすぐ近くにいても
<精神的には遠く離れた星に住む異星人ぐらい、全く別世界の生き物である>
と、捉えているように感じます
人世で一番寂しいこと、それはペットの死
ジェイと主人公との会話の中で、ジェイが飼い猫の死についてこう語ります
「どんな人間が死んだって、あれほど寂しくないね」
「羊をめぐる冒険 」村上春樹
このセリフには、家族であるペットと一緒に暮らしたことのある方なら、深く頷けると思います
誤解を恐れずに言うと、私もジェイとまったく同じ想いです
肉親も含めて、どんな身近な人間の死よりも愛犬の死が一番つらく、寂しく感じるのです
今までの人生で一番涙を流したのが、愛犬が旅立った日でした
そうした一つ一つが奇跡のような眩しい存在だから、地上から姿を消したときには、あまりにも大きすぎる空白を感じて私たち人間は戸惑ってしまうのです
名前の重圧に耐えられない
上巻の最後で、名前のなかった主人公の飼い猫に「いわし」という名前があたえられます
「1973年のピンボール」に出てくる「直子」をのぞいて、「風の歌を聴け」からずっと登場人物の名前は姓名の形では表記されず、あだ名です
- 僕
- 鼠
- ジェイ
- 小指のない女の子
- 仏文科の女の子
- 誰とでも寝る女の子
- 耳専門のモデルをしているガールフレンド
- 黒服の男
- 羊博士
そして、よく主人公の僕は「名前を忘れてしまった」「思い出せない」と言います
でも、そんなことってあるでしょうか…?
少なくとも、昔付き合っていた彼女の名前は覚えているはずです
そうなると、僕は嘘をついていることになります
…なぜ?
恐らくこの時点での僕には、
その重圧に耐えられなかったからでは?と思います
十二滝町の歴史について書かれた理由
下巻では、十二滝町の歴史を説明するくだりに長いページが割かれています
最初は「十二滝町の説明、そんなに必要かな?」と疑問でした
今回再読してみて、もしかしたらアイヌ青年の問いかけである
「どうしてわざわざ外国に行って戦争をするの?」
「羊をめぐる冒険」下巻/村上春樹
このセリフを書くために必要だったのかな、と感じました
僕と鼠が再び出会うために、必然だった冒険
物語のラストで、羊をめぐる冒険を終えた主人公はジェイに
「僕と鼠をジェイズ・バーの共同経営者にしてほしい」
と頼みます
鼠は当然、この時点で亡くなっているわけです
それでも僕があえてそうお願いしたのは、
「1973年のピンボール」で離れ離れになり、「羊をめぐる冒険」で喪失した鼠、すなわち自分の分身(影)を、ようやく一人の自分の中に収めることができたからなのかもしれません
分離していて不安定な状態だった僕と鼠がようやく統合でき安定を得た、とも言えます
「喪失」から始まる物語
「羊をめぐる冒険」では、主人公は様々なものや人を失います
恐らくこの物語のテーマは「喪失」だと思います
主人公は誰とでも寝る女の子の死を知り、妻と離婚し、仕事を辞め、飼い猫のいわしと離れ、耳専門のモデルをしているガールフレンドと別れ…そして鼠を失います
それは、一度喪失しないと、次の新たな出会いも生まれないからです
主人公が一度鼠を喪失したことで、自分の中に「鼠」を受け入れることができたように。
新たな出会いは、新たな物語の始まりです
物語はまだこれからも、続くのです(^^)
何度も読んでいる物語のはずなのに、ラストの余韻には、たまらず涙が滲んでしまいました
6:「中国行きのスロウ・ボート」1983/5/18
- タイトル:中国行きのスロウ・ボート
- 発行日:1983/5/18
- 発行元:中央公論社
- ジャンル:短編集
- 読了日:2023/6/5
村上春樹さんの初の短編集で、7つの作品が収められています
安西水丸さんによるカバーイラストがとてもお洒落♪
表題作の「中国行きのスロウ・ボート」が読み終わってから一番余韻が残った作品だったので、この作品について感想を記します
冒頭の1節に出てくる
「そして死はなぜかしら僕に、中国人のことを思いださせる。」
中国行きのスロウ・ボート/村上春樹
という文章が印象的でした
いつか必ず訪れるであろう死のことを考えたときに、過去のひっかかりを残したままにはしたくない、という想いから出たのでしょうか?
出会った3人の中国人
主人公は3人の出会った中国人とのエピソードを紹介しています
そしていずれも心残りがある描き方です
- 監督官の先生(中国人)から事前に落書きをしないよう注意があったにもかかわらず、中国人小学校の机に落書きしてしまった
- バイト先で会った中国人女性とのデートの帰りに、山手線の逆周りに乗せてしまったこと&その女性の連絡先を不注意で捨ててしまった
- 再会した高校の同級生(中国人)に、彼が販売している百科事典を「余裕ができたら必ず買う」といったが、おそらく主人公はその後百科事典を買わなかったのでしょう
そうした一つ一つの「背信行為」ともいえる行動が、今もずっと心にわだかまりとして消えないのだと思います
一人目のエピソードは、
- 先生の演説に対しての反抗心から書いたのか?
- あまりにも机がぴかぴかすぎて汚したくなってしまったのか?
本当の動機はわかりませんが、当時同じ場にいた女の子に何度も落書きをしたかどうかを尋ねていることからも、主人公が落書きしてしまったことを後悔していることは確かなようです
主人公が言うように、
であるとしたら、主人公は出会ってきた中国人と無意識的にせよ<距離を置きたい>という想いを抱いていたことになります
これは憶測ですが、主人公は東京にいてもここは自分の居場所ではないと感じていることから、アイデンティティがしっかりとある彼らに対しての羨ましさ、妬みのようなものもあったのかもしれません
私が出会った中国人は、中学時代の同級生
この小編を読んで、中学で同級生だった中国人の女性を思い出しました
彼女は日本語も堪能だったこともあり、お互い生まれた国の違いは意識することもなく、日本人の同級生と同じように交流していました
その後高校は別になり、住む場所も変わったので会えなくなってしまいましたが、今も元気にしているといいな☆
その頃の自分は国籍が違うこと、生まれた場所が違うこと、そんなことは意識していなかったはず
国はあくまでもひとつの区分でしかない。
そんなことは分かりきっているはずなのに、この物語の主人公のように大人になるにつれ
- 「無意識」にでも遠ざけていないか?
- 「違う」ことを心のどこかでいいものだとは思っていないんじゃないか?
- 「決して分かりあえない」と思っていないか?
と、自分自身はどうかな?と考えるきっかけになりました
違うからこそ、<違うことを分かりあえる>のだと信じたい自分がいます
<スロウ・ボート>を待つ私
仮に多くは分かりあえなくとも、歩み寄ることはできるはず。
そして今はまだできていないけれど、もしかしたら未来には試みることが出来るようになっているかもしれない。
実現不可能だとは分かっていても、中国行きのスロウ・ボートが現れるのを待つことはできる…
中国との距離はとても、とても遠いです。
主人公はその事実を受け入れたうえで、いつの日か水平線の彼方に見えるかもしれないスロウ・ボートにささやかな期待を託します
一見、受け身で消極的に見えますが、スタートラインに立つ日を夢見る主人公の、微かな前のめりさを感じることが出来た作品でした
7:「カンガルー日和」1983/9/9
- タイトル:カンガルー日和
- 発行日:1983/9/9
- 発行元:平凡社
- ジャンル:短編集
- 読了日:2023/6/18
18の作品が収められた短編集です
最後の『図書館奇譚』をのぞけばひとつひとつの作品ページ数が短いので、少し空いた時間に気楽に読めてしまいます♪
カンガルー日和
一番目に収められている表題作の「カンガルー日和」は、主人公が彼女と一緒に、カンガルーの赤ちゃん目当てに動物園にやってきたという場面から始まります
なんとカンガルーの家族(?)構成が、
- 雄一匹
- 雌二匹
- 赤ちゃん一匹
この主人公はもしかして、カンガルー通信と同じ人物だったり?
主人公の彼女はしきりに【赤ちゃんカンガルーがお母さんの袋に入るかどうか(保護されているか)】を気にしている様子です
そして物語終盤に赤ちゃんがお母さんカンガルーの袋に入った姿を見て、「保護されているのね」と主人公に改めて確認しています
これは彼女と主人公にとって<私達はもう二度と保護されていた時代にはもどれないんだ>と確かめる行為なのかもしれません
保護されるのは限定された期間だけで、ある年齢を超えたら(袋に入らなくなったら)、もう一人で歩き出していかないといけない。
『いつまでも温かで安全な袋の中で保護されてはいられないんだ』、と。
- お母さんの袋の中でしっかり保護されているカンガルーの赤ちゃん
- 保護されてきた時代を経て今に辿りつき、大人になってしまった自分たち
そんな、カンガルーの赤ちゃんと自分たちの置かれた状況の対比が浮き彫りになります
そして二度ともうあの頃へは戻れないこと、時間は止まらず進み続けることを再確認することで、次に進むきっかけを見つけ出したかったのかもしれません
8:「象工場のハッピーエンド」1983/12/5
- 象工場のハッピーエンド
- 発行日:1983/12/5
- 発行元:CBS・ソニー出版
- ジャンル:ショートショート・エッセイ・画集
- 読了日:2023/6/18
安西水丸さんとの共著です
水丸さんといえば『中国行きのスロウ・ボート』の表紙がとても印象的でした!
「象工場のハッピーエンド」という作品は収録されていなかった…!
タイトルの『象工場』とは謎な雰囲気が漂いますが、ハッピーエンドとあるので、紆余曲折があろうと、終わりがハッピーならそれだけで読む前から安心できるのです
【読んでみてわかったことその1】
→あくまでも本のタイトルで「象工場のハッピーエンド」という作品が収録されているわけではありませんでした
この本は短編集というよりも、エッセイ要素ありのショート・ショートと言ったほうが近いです
安西水丸さんのイラストページがかなり豊富で、鮮やかな色使いと描かれているアイテムから、1980年代の香りを感じる事ができます(瓶のコーラを飲みたくなります)
村上さんと水丸さんという強い個性同士ですが、不思議と調和しているんですよね
最後にお二人の対談が収録されていてそこで知ったことなのですが、もともと安西水丸さんからの提案でこの『象工場のハッピーエンド』が生まれたそうです
水丸さんは村上さんの文章を全く読まずにイラストを描かれたそうで、それでここまで文章とイラストの親和性が高い作品になるとは…!!
この作品に私の知らない固有名詞がたくさん出てくるのですが、それだけでワクワクします☆
知らなかったことを知れること、それも本の醍醐味のひとつです
既に知っていることしか書かれていないものを読んでも、そこまで心は高まりませんもの
(*´艸`*)
- カティーサークというウィスキー
- ビング・クロスビーというアメリカのアーティスト
- ジャズピアニストのウィントン・ケリー
どれも、この本を開くまで知らなかったことです
村上さんといえば、ビーチ・ボーイズ
そして、村上春樹さんの小説に出逢わなければビーチ・ボーイズの存在を知ることもなかったんですよねぇ
『風の歌を聴け』でも、ビーチ・ボーイズの「カリフォルニア・ガールズ」が度々登場しました
『fun fun fun』を読んだら、これはもう絶対に曲を聞いてみたくなりますよね…w
1960年代の陽気な音楽を聴いていると、平和でのどかで幸せな時代がイメージされるのですが、でもきっと過去のことだからそう思えるんだろうな
一押しのスニーカーは無印良品のスリッポン
『マイスニーカーストーリー』では、てっきり本当の歴史かと信じ込んでしまい、最後に「や、やられた~!!」となりましたw
さすが村上さん、ニヤニヤされながら書かれたのでしょうかw
わたしもスニーカーが大好きです♪ニューバランスとかコンバースを眺めてるだけでも心が軽くなってくるほど。
スニーカーを履いていると、丸い地球の上をどこまでもどこまでも、歩いていけそうな気がするんですよね
スニーカーで一つだけ難点をあげるとすれば、紐がすぐほどけてしまうこと(私だけかしらん?)なのですが、無印のスリッポンならノープロブレム!
- 紐がないことの快適さ
- 履きやすさ
- 脱ぎやすさ
- 丈夫
- 安い
と、どこをとっても無印良品のスリッポンはピカイチなのです☆
こんな優秀なスリッポンが、3,000円未満で買えてしまうんです…♪
靴はもうこれ1足でいいと思えるぐらい愛用していますしい、今後もずーっと履き続けます!
9:「波の絵、波の話」1984/3/25
- タイトル:波の絵、波の話
- 発行日:1984/3/25
- 発行元:文藝春秋
- ジャンル:写真集
- 読了日:未読
稲越功一さんとの共著です
こちらの書籍は絶版となり入手困難のため、保留とします(そのうちお手頃価格の中古本を探してみようと思います)
願わくば、再版希望です!
10:「螢・納屋を焼く・その他の短編」1984/7/5
- タイトル:螢・納屋を焼く・その他の短編
- 発行日:1984/7/5
- 発行元:新潮社
- ジャンル:短編集
- 読了日:2023/7/1
村上春樹さんといえば長編のイメージが強いですが、こうして発行順に読んでいくと、結構精力的に短編を書かれていることがわかります
この「蛍・納屋を焼く・その他の短編」には5つの短編が納められています
長編は読む側も「よし!」とそれなりの気合と覚悟が必要ですがw、短編は余りかまえずにスッと入っていけるのがいいですね♪
短いからこそ
『この物語にはいったいどういうテーマやメッセージ(メタファー)が込められているんだろう?』
とより考えさせられることがあります
今回は表題作「螢」について感想を記しますが、「納屋を焼く」もなかなか興味深い内容でしたので、こちらはいつか感想を書きたいです
「螢」は「ノルウェイの森」の前身でした
表題作のひとつ「螢」は読んで割とすぐに、
『あれ、この設定何処かで読んだことがあるような…?』
と気づきました
きづき…
きずき…
キズキといえば…?
そうです、「ノルウェイの森」とほぼ同じ設定なんです
ここまで書いてふと、改めて文庫本の帯を見たら…
と、はっきりと!堂々と!!ネタバレが!!!
書いてありましたw(あ~なんだか恥ずかしっ)
この短編をベースにして、のちに『ノルウェイの森』が出来上がったわけですね
振り返るのはすでに喪失しているから
「蛍」の冒頭は、32〜33歳になった今の主人公が大学生になった18歳当時を回想する形式で始まります
回想するということは<すでに失われてしまった人や関係性を語っている>ということにほかなりません
今も昔と変わらず、同じような関係性で近くにいる相手のことを、回想形式で語ることは考えにくいからです
そうなると、必然的にこの話に登場する亡くなった友人(=キズキ)の元彼女(=直子)の存在は、すでに主人公にとって喪失の対象であることがわかります
緑と赤は生と死の色
突然、動機もわからず遺書もないまま自ら命をたった友人(キズキ)、そして死への捉え方について触れている箇所は淡々としているところがかえって切なさを増します
その中で「あれっ」と思った箇所があります
僕は緑のフエルトを貼ったビリヤード台や、赤いN360や、机の上の白い花や、そんなものはみんな忘れてしまうことにした。
「螢・納屋を焼く・その他の短編」新潮文庫/P30より
これは、ノルウェイの森の表紙に赤と緑が使われていることと、繋がっているのかもしれません
- 友人が無くなる当日に遊んだビリヤード台の緑
- 友人が命を絶ったN360の赤
この2つの色は、キズキの死を境にして主人公にとってどちらも<生の一部である死>をイメージさせるものとなったのだと思います
「机の上の白い花」の白色については自分の中で答えが出ていませんが、どちらの色にも成りうるもの、とも解釈できます
そして、作品中に唯一太文字で表記されている文章は、村上春樹さんが「風の歌を聴け」から通底しているテーマのように感じます▼
死は生の対極としてではなく、その一部として存在している。
「螢・納屋を焼く・その他の短編」新潮文庫/P30より
「螢」の意味するものは?
最後のシーンに蛍が登場する場面が出てきますが、作品タイトルでもあるこの「蛍」が意味するものは一体なんでしょうか
- 手を伸ばしても触れられない蛍の光の残像に彼女を投影している
- 僕自身も蛍のように、闇の中を羽ばたいて周囲を淡く照らしたいという想い
- 弱っていたようにみえた蛍が自力で飛び立っていけたことへの、憧憬
もしくは、これらすべてを表しているのかもしれません
友人そして彼女を喪失した悲しみと同時に、光を求めてやまない心を映しているとすれば、視点を変えると、
深い闇=悲しみの中にいるからこそ、ほのかな淡い光にも気付けるのかもしれません
たとえ届かなくても何度でも何度でも闇の中に手を伸ばす、その自発性に注目したいです
結果、何も触れることができなかったとしても、
<手を伸ばし続けること>
その行為で救われる感情が確かにあると、感じたからです
以前に「ノルウェイの森」を読んでから随分と時間が経っているので、早く読み返したくてウズウズしております☆
11:「村上朝日堂」1984/7/15
- タイトル:村上朝日堂
- 発行日:1984/7/15
- 発行元:若林出版企画
- ジャンル:エッセイ
- 読了日:2023/7/15
求人情報誌の「日刊アルバイトニュース(後にanに改名)」に連載していたコラムをまとめた本です
『an』は、私が小さい頃はコンビニや本屋さんで必ず見かけるメジャーな求人情報誌でしたが、現在は廃刊しています
時代の流れとはいえ、淋しい気もしますネ…
一つのエッセイごとに水丸さんのイラストがあるのですが安西水丸さんの描く村上さんのイラストは、朴訥としていて、かわいらしいです☆
一つのコラムはページ数が短く、あまり構えず気楽に読んでいると、時々ハットするようなことをさらっと書かれていたりして、急いでメモを取ったり…!
はっきりと『僕はこう思うよ』と意見を書かれているのも気持ち良いです
あまりに忖度しすぎた文章はときに居心地の悪さを感じるので、はっきり自分の意見を述べている文章に出会うと、目の覚めるような感覚になります☆
もちろん、述べられた意見の中身について賛成か反対か、良いか悪いかはそれぞれの価値観があるので個人によって異なるワンね!
そこを踏まえたうえでも、覚悟を持って意見を述べることって、できそうでなかなかできなかったりするんですよね
特に印象に残ったコラムは3つです▼
1.アルバイトについて
村上さんが学生の頃はアルバイトの時給は150円で、喫茶店のコーヒー代とおなじぐらいだったそう
そう考えると、2023年現在では時給に比べたら何分の一かの価格でコーヒーが飲めてしまうのは有り難くもありますが、それはそれで違う問題も含まれていそうです
GNPなど、いくらでもごまかせるような数字などの
実体の無いものなんてとても信じられないよ
「村上朝日堂」新潮社より
という一文には、よくぞ言ってくれました!とニヤリとさせてもらいました
たしかに、その数字が正しく集計されたか確かめる術はないですし、都合の悪いところは伏せられていたとしてもわかりようがありません
数字はあくまでひとつのものさしでしかなく【自分の実感としてどうか?】を大切にしたいですね
バイト代でLPを買っていた村上青年、今でも1枚1枚大切に聞いているそうです
村上青年が親しんできた曲が作品のあちこちで登場しては、彩りを加えてくれています
一つ一つの本、一曲一曲を太切にじっくり味わうことは、確実に人生を豊かにしてくれます
私も好きなものに対して、私もそうありたい
2.文章の書き方について
自分の文章を書きたいと思ったら、どんなふうに生きるかが大事ということを書かれています
小手先の器用さに惑わされずにまずは自分の生きるスタイルを確立することが、自分の文章を書くことにつながるよ、ということですね
上手な文章を書こうと思ったらついテクニックを真似したくなるものですが、生き方の中からオリジナルの文章スタイルを生み出すというのはさすが村上さん…!
3.先のことについて
このトピックはなかなか考えさせられました
私もたくさんいろんなことを信じては騙され失敗し、今に至っているので…
根拠もないままに『これは真実だ!絶対だ!』と紛うことなく信じ込んでいた過去の自分の浅はかさ、未熟さを思うたびに悔しくなります
予測することで大まかな傾向がわかったり、的中することもあるだろうけど、百パーセント確実に未来を予測できるものは有りえないのです
今と未来は地続きでありながら、時が進むに連れて変わっていくもの。
知れば知るほど学問も世の中もわからないことだらけだと気づかされますし、勉強を重ねるほどに謙虚さを忘れてはいけないと思うのです
もしなんでも分かったつもりになってしまったときは、注意サインの表れかもしれません
そんなときは一旦落ち着いて
- 自分を疑ってみること
- 時間をかけて慎重に吟味すること
が必要です
村上さん的には『専門家』と『かっこいいキャッチフレーズ』は危ないと言われていますが…w
同じ分野の専門家でも逆の主張をしていたり、間違っていたとしても後でなかったことにしたり、、というのはよく見かける光景ではあります
そう考えると「絶対にこうだ!」と絶対にはわからないはずの先のことを断言する人やフレーズには慎重になったほうが良さそうです
要は、どんなことでも最後は自分自身で判断しなくちゃ、ってことですね
エッセイは作家さんの私生活をのぞき見できる貴重な機会
その他にもお気に入りのタイトルは↓
- 報酬について
- 引っ越しグラフィティー
他にも、水丸さんを困らせようと描きにくそうなテーマにしたり、お豆腐の話を続けたりする村上さんがとても微笑ましいですw
お豆腐に「ふりかけるザクザクわかめ」をかけるのがマイブームです☆
このエッセイ集のイラストを担当された安西水丸さん、そして本文中に出てくる大森一樹さん(「風の歌を聴け」の監督で村上さんの後輩)はすでに、お二人とも亡くなられているんですよね
未来には確実に自分か、相手のどちらかは先に旅立ってしまうわけですから、リアルタイムで同じ体験や場を共有できることはとてもとても、貴重なことなのだと感じます
それにしても村上さんの試行錯誤の末にたどり着いた切符のしまい場所には驚かされたし、ビーフカツレツは食べたくなるし、博識ぶりに驚いたりと、てんこもりのエッセイ集でした☆
エッセイは作家さんの私生活が覗き見られるので面白い〜♪
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