「健康と社会 (17)」第1回
今回から、「健康と社会(17)」の復習をスタートします!
第1回は『健康とは何か』です。
章タイトルにもあるとおり、そもそも「健康」とはなんだろう?
実は定義するのがなかなか困難な言葉だよね
コース科目:導入科目(生活と福祉)
主任講師名:井上 洋士、山崎 喜比古
「健康」とは?
科目名にもある通り、この講義では<健康>そして<社会>について考えていくわけですが、、、
そもそも、健康や病気の定義について改めて考えてみると、『健康ってどういう状態を指すんだろう?』『どこまでが健康でどこからが病気だろう?』という疑問が出てきます。
健康とはいえないけど、病気でもない中間ゾーンにいる人も多そうだワン
病気になったら健康ではないのかな?
その反対に、病気がなければ健康と言えるのかな?
『体に不調があって病院で検査をしたけどお医者さんからは「特に異常なし」と言われ、様子を見ることになったけれど相変わらず不調が続く』という状態は果たして病気なのでしょうか?
それとも医学的には「異常なし」なので健康と言ってもよいのでしょうか?
まずは辞書やWHOではどう定義しているのか、確認してみよう!
「健康」の定義
健康や病気という概念は、たとえ同じ状態でも捉え方や価値観によって変わることもありえるので、一概にばっさりと線引き出来るものではないと思うのですが、基本に立ち返ってまずは辞書での定義を確認してみましょう。
どこにも痛みや辛さを感じず、心も体もエネルギーに満ち溢れて元気いっぱい!!って感じかな?
ちなみに、江戸時代までは「健康」という言葉がなかったそうです!『丈夫、健やか』が健康の意味合いを果たしていたんですね。
次に、WHO (世界保健機関)による健康の定義を見てみましょう。
人の健康を身体面だけではなく、精神そして社会も含めて包括的に捉えているのが特徴的です。
身体の健康と同じぐらい、精神の充足と社会とのつながりが大切ですよってことですね。
とは言え、現実的に<肉体・精神・社会>の全てがパーフェクトな状態、というのはかなりハードルが高く、人間である以上不可能に近いのでは?とも感じます^^;
そんな不可能を可能にしてしまうのが、某パーフェクトヒューマンなのでしょうか?w
アイムア・パーーフェクト・ドッグ♪
不可能でも、チャレンジする姿勢を持ちたい
そもそも、『完全に良好な状態』というのをどう判断したらいいのでしょうか?
んんん、悩ましい〜
完璧な状態への到達は難しいと充分承知の上で、『理想形としての健康像を掲げて目指しましょうYO!』ということなのかな?
理想を掲げてそれに少しでも近づけるように努力・工夫していく試み自体が大切だと思うので、定義を掲げる意義はそこにあるのかな、と思います。
なみに、私自身の健康バロメーターとして、↓にあげたうち、どれか一つでも感じたら心身の状態はGOOD!ということにしていますw(※科学的な根拠はありません、あくまでもaki調べですw)
健康への執着も、またひとつの病?
健康は人生においてまず起点となるものですが、過度に健康に囚われすぎると、それは健康に近づいているようでどんどん離れてしまうものだとも感じます。
作家の五木寛之さんは「健康という病」という本の中で、『過度に健康を追い求めすぎることもまた、深刻な病』だと表現されています。
病気と対局にありそうな健康の概念ですら、病ととらえる発想がさすが作家さんの表現!と、書店でタイトルを見たときに衝撃を受けた記憶があります。
健康について考えることはもちろん大切ですが、
- 自分なりの健康感を持つこと
- 固く考えすぎずにゆるく健康を捉えること
はもっと重要かもしれません。
言葉や概念は様々な解釈や定義があるように、健康においても人それぞれの価値観でいいんじゃないかな?
そして完璧目指して健康まっしぐら生活!はきっとどこかで破綻しかねないので、まずは自分が何を優先したいのか?を明確にして出来ることだけやっていく、というスタンスが良さそうです。
軽いストレッチをする、昨日は多めに食べたので今日は少し軽めの夕食にする、おやつを低糖質のものにしてみる、野菜をいつもより意識して食べる、、など。
一つ一つはちょっとしたことでも、続けることで確実に良い方向へ変わると思います♪
まずはひとつ、リラックスしながらゆる~く健康感を味わえることを始めてみましょう☆
akiは健康のためになにかしてることはある?
かかと落としと、軽いストレッチはゆるく続けているよ♪
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